Hatebreed
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ツアー日程
バンドメンバー
Jamey Jasta
Sean Martin
Frank “3 Gun” Novinec
Chris Beattie
Matt Byrne
2010年11月08日 渋谷 Club Quattro 渋谷 http://www.smash-jpn.com/band/2010/11_hatebreed/index.php Buy Tickets 2010年11月10日 今池 THE BOTTOM LINE 名古屋 http://www.smash-jpn.com/band/2010/11_hatebreed/index.php Buy Tickets 2010年11月11日 心斎橋 Club Quattro 大阪 http://www.smash-jpn.com/band/2010/11_hatebreed/index.php Buy Tickets

1995年、ジェイミー・ジャスタ(vo.)とルー“ボウルダー”リチャーズ(g)が中心となって、彼らの地元であるコネチカットで結成されたのがこのHATEBREEDだ(ちなみに、このHATEBREEDというバンド名は、MISFITSが’82年に発表した楽曲「Hatebreeders」からつけられたという)。彼らは、バンド結成の直後にすぐさま3曲入りのデモをレコーディングし、ジェイミー本人が設立した自主レーベル、Stillborn Recordsより発売し、そのデモ音源を引っさげて、全米各地をツアー、その名を各地に知らしめていく。

NEGLECTINTEGRITYらとのスプリット・シングルを立て続けに発表しつつ、とてつもない数のギグをこなし、そこでCDやTシャツなどを販売していく中、その人気はぐんぐんと上がって行き、95年末には単独名義の初となる作品『アンダー・ザ・ナイフ』を発表、当初はアナログのみでのリリースだったのだが、その後MACHINE HEADBIOHAZARDといったバンドとの共演によりその人気が一気に爆発していったため96年にCDで再発している。既にこの時点でハードコア/メタル・シーンでの知名度はかなり上がっていたのだが、その存在が注目される中インディーズのVictory Labelと契約を交わし、’97年にはデビュー・アルバム『サティスファクション・イズ・ザ・デス・オヴ・デザイア』を発表、AGNOSTIC FRONTSOULFLYMOTORHEADらといった錚々たるメンツと共にツアーを回るようになり、その知名度、人気は時間をかけて加速度的に高くなっていく。その他Warped TourやTattoo The Earthツアーにも参加するなど、デビュー・アルバム発売後丸2年をツアーに費やしたこともあり、このデビュー・アルバムはVictory Labelの数ある作品の中でも最高のセールスをたたき出す事になった。

そして2001年、メジャーのUniversalと契約、マネージメントもNO NAMEへ移籍し、より大きな規模での活動をスタートさせる。まずバンドはセカンド・アルバムのレコーディングを開始させ、その発売を待たずに全米をサーキット、既に絶大な人気を誇るバンドとなっていた彼らのそのツアーは、凄まじい歓迎を持って各地で迎え入れられる。そして2002年3月、メジャー・デビュー作にしてセカンド・アルバム『パーシヴィランス』を発表、その年のOZZFESTに出演し、会場を巨大なモッシュ・ピット化させたその強靭なライヴ・パフォーマンスで圧倒的な存在感をシーンに見せ付けた。前作から5年を経て発表されたこの作品は、キッズの新作に対する飢餓感、期待感を十分に埋める強力な作品となり、ハードコア・アルバムとしては初といってもいい快挙、ビルボード・チャート初登場50位を記録する。このアルバムで遂に日本でもデビューが決まり、同年の年末に行われたBeast Feast 2002、それに伴う単独公演を行っている。

度重なるツアーの後、オリジナル・ギタリストであるルーがバンドを去り、4人編成となった彼らは、前作の制作スタッフのひとりであったゼウス(SWORN ENEMYSHADOWS FALLなどを手がける)をプロデューサーに迎え、ニュー・アルバムの制作を開始、2003年10月、サード・アルバム『ザ・ライズ・オヴ・ブル−タリティ』を発表。この作品はUSは同じくUniversalより、その他のテリトリーではRoadrunner Recordsからリリースされることとなり、よりワールドワイドな活動を続けていく事になるわけだが、同年の夏から始まったMTV2の番組”Headbangers Ball”の司会者としてジェイミーが抜擢され全メタル/ハードコア・シーンの顔役として君臨する事となったことも相乗効果を生み、今作品はビルボード・チャート初登場30位を記録する。その直後もSLAYERSLIPKNOTMASTODONとのJagermeister Tour参戦、2004年に入るとDamageplanらとともにHeadbangers Ball Tourで全米をサーキット、ヨーロッパのフェス・ツアーを経て夏のOZZFESTにも出演、セカンド・ステージに巨大なモッシュ・ピットを出現させた伝説のライヴを繰り広げる。その後も自ら主催したStillborn Fest、2005年にはオーストラリアのBIG DAY OUT、その直後となる2月にはExtreme The Dojoのため二度目の来日公演を行い、年間200本を越えるステージを休むことなく続けていく。また、活動開始から10周年を記念する「10 Years of Brutality」ツアーも開催し、全公演をソールド・アウトさせている。また第47回グラミー賞のベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネート(Live For This)されるなど、その人気を拡大していく。

2006年に入ると、前作同様ゼウスをプロデュースに迎え、最新作のレコーディングをスタート。新たに元RINGWORMTERRORのフランク・ノヴィネックをギタリストに迎え入れ結成当初のようなツイン・ギター編成となった彼らは新たにRoadrunnerと契約を交わし、同年8月に4作目となる『スープレマシー』を発表、ビルボード・チャート初登場31位を記録する。この年のOZZFESTではメイン・ステージに出演し、大きな話題となったのを皮切りに、約2ヶ月に及ぶ全米ヘッドライン・ツアー、Killswitch Engageとのカップリング・ツアー、LOUD PARK 06参戦のための来日公演、2007年には早くもExtreme The Dojoでの来日公演、ヨーロッパのフェス・ツアー、OZZFESTのセカンド・ステージのトリを務めるなど、強靭なツアー・スケジュールで全世界を席巻していく。その後バンドはKOCH RECORDSと契約を結び、ライヴDVD『ライヴ・ドミナンス』(全米チャート1位)を2008年に、2009年には企画カバー・アルバム『フォー・ザ・ライオンズ』(全米チャート58位)と立て続けに発表するが、2009年2月、約10年にわたりギタリストとして活動していたショーン・マーティンがバンドを脱退してしまう。バンドはすぐさまバンド結成当初のオリジナル・ギタリストでもあるウェイン・ロジナックを迎え入れ、今や6人目のメンバーとも言えるプロデューサー、ゼウスと共に5枚目のアルバムとなる最新作のレコーディングをスタートさせた…。

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