KoЯn
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バンドメンバー
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カリフォルニア州ベイカーズフィールド出身、1993年結成。同じバンドで活動をしていたレジナルド・“フィールディ”・アーヴィズ(b)、ジェイムズ・“マンキー”・シェイファー(g)、ブライアン・“ヘッド”・ウェルチ(g)、デイヴィッド・シルヴェリア(ds)は、当時活動していたバンドのボーカリストを探していたが、地元で活動をしていたジョナサン・デイヴス(vo)を見つけ、一緒に活動をする事を決意、ここに KOЯN が誕生する。その直後から年 200本を超えるライヴを行い、アンダーグラウンドを中心に一気に注目を集めるバンドへと頭角を現していく。

1994年、プロデューサーのロス・ロビンソンと共に制作したデビュー・アルバム『KOЯN』を発表、グランジ・ムーヴメントが終焉を迎えつつあったこの年に、不協和音に満ちたヘヴィなグルーヴとパーカッシヴな重低音ベースとが産み出すヘヴィ・サウンドにヒップホップ的なボーカル・アプローチを加えた今までにないサウンド・スタイルと共にデビューをした彼らは、基本的にメディアからのサポートがない状態であったにもかかわらず絶大な支持を受け、その後18カ月に及ぶツアーによって強力なファン・ベースを獲得、翌年には早くもゴールド・ディスクを獲得し、2年後の 96年にはビルボード・チャート最高位 72位を記録する(現時点で今作は USだけでダブル・プラチナムを記録)。96年には同じくロス・ロビンソンをプロデューサーに起用し、セカンド『ライフ・イズ・ピーチィ』を発表、今作はいきなり全米チャート初登場3位を記録、全米のみならず世界的にも一気に注目を集め、その後に続く強靭なツアーにより今作も現在までにダブル・プラチナムを獲得、この頃から、KOЯN的なサウンドを鳴らすフォロワー達が多く生まれるようになる。97年にはロラパルーザのヘッドライン出演を果たしている。翌年 98年にはサード『フォロウ・ザ・リーダー』を発表、発売初週で 25万枚を超えるセールスを叩き出し、全米チャート初登場 1位の快挙を成し遂げ、世界的なブレイクを果たす。この年にリンプ・ビズキットらを従えた初のフェスティバル・ツアー、FAMILY VALUES TOUR を主催、全公演をソールドアウトさせるなど、もはや社会現象とも言えるほどの存在感をシーンに見せつけていく。また今作は全米だけで5xプラチナムを獲得、KOЯN 史上最大のヒット作となっている。また今作からのシングル「フリーク・オン・ア・リーシュ」はグラミー賞ベスト・ミュージック・ビデオを受賞。98年夏には東京で行われた FUJI ROCK FESTIVAL出演のため初来日を、翌 99年 2月には早くも来日公演を行っている。

99年11月に4作目『イシューズ』を発表、当然のごとく全米チャート初登場1位を記録し、翌2000年まで続く長いツアーを敢行(この時期、ジョナサンの死亡記事が流れるが、バンドはオフィシャルのサイトを使ってその情報を否定している)。2001年はバンドにとって初めて一切ライヴを行わない年となり、それぞれのソロ活動や次なる作品への製作準備にとりかかる。そして02年、バンドは5作目『アンタッチャブルズ』を発表、大胆なまでにストリングスやシンセ、エフェクトを多用した作風となり、賛否両論を巻き起こすが、全米チャート初登場 2位を記録、そのすさまじい人気ぶりを見せつけてくれた。また、今作からの楽曲「ヒア・トゥ・ステイ」で 2 度目のグラミー賞(ベスト・メタル・パフォーマンス)を受賞。2003年、バンドは初となる OZZFESTへ出演後、6作目『テイク・ア・ルック・イン・ザ・ミラー』を発表、初期のヘヴィ・サウンドを取り戻したそのサウンドは熱狂を持って迎え入れられる。今作は全米チャート初登場 9位を獲得。04年 1月には SONIC MANIA出演のため 3度目の来日公演を行い、同年秋には初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ VOL. 1』を発表、今ベスト盤の発売を持って、長年在籍したEPIC/IMMORTALとの契約を満了している。

その後オリジナル・メンバーであったギタリストのヘッドがバンドを脱退、今までメンバー・チェンジを一切していなかったバンドだったため大きな衝撃が走ったが、バンドは新たに EMI/VIRGINと契約を交わし、2005年末、7作目『シー・ユー・オン・ジ・アザー・サイド』を発表、ヘッドの不在というハンデを克服しただけでなく、サウンド的にも次なるレベルへと進化させた今作は前作で落ち込んでいたセールスも一気に吹き飛ばし、全米チャート3位を記録、その後も 34週にわたりチャート・インを続け、プラチナムを獲得する。アルバム発売後翌年となる 06年4月には 4度目の来日公演を実施、また夏にはFAMILY VALUES TOURを復活させるなど、精力的に活動を続けていく。そして 2006年 12月、オリジナル・ドラマーであるデイヴィッドが KOЯNを脱退、バンドはサポートにテリー・ボジオやブルックス・ワッカーマンらをドラマーに迎えてアルバムを制作、2007年に 8作目となる『無題』を発表、デイヴィッド不参加という事もあり今までの KOЯNサウンドとは違うグルーヴに溢れた作品となったが、全米チャート初登場 2位を記録する。その後のツアーにはスリップノットのジョーイ・ジョーディソンがサポート・ドラマーとして参加したことも話題となった。

アルバム2 枚を発表してEMI/VIRGIN との契約を終了させたバンドは、2010 年3 月に新たにRoadrunner Records とのワールド・ワイド契約を交わし、またレイ・ルジアーを正式なドラマーとして迎え入れ、初期2 作を共に手がけたロス・ロビンソンと再びタッグを組んだ、原点回帰とも言える通算9 作目となる前作『KOЯN III リメンバー・フー・ユー・アー』を同年7 月に発表、全米チャート初登場2 位を記録する。この作品の発表を祝い、バンドは地元ベイカーズフィールドの広大な小麦畑に巨大なミステリー・サークルを出現させ、そこで前人未到のライヴ・パフォーマンスを行い、大きな話題を呼んだ。しばらく来日公演から遠ざかっていたのだが、今作発表後の2010 年10 月、LOUD PARK 10 出演及びヘッドライン公演のため久しぶりの来日公演を行い、日本のファンを熱狂の渦に巻き込んだ。その後早くも2011 年夏にはSUMMER SONIC 11 出演のため再び来日、圧倒的なパフォーマンスで全観客を魅了していった。そのツアーの合間を縫いながら次なる作品の制作にとりかかり、全く新たなヘヴィ・サウンド・スタイルを打ち立てる通算10 作目となる最新作を完成させた…。

 

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