Lynyrd Skynyrd
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ツアー日程
バンドメンバー
Johnny van Zant
Gary Rossington
Rickey Medlocke
Mark Matejka
Robert Kearns
Michael Cartellone
Peter Keys
1964年、ロニー・ヴァン・ザントとボブ・バーンズ、ゲイリー・ロッシントンが母体となって結成。
アーティスト名は当時の体育教師で長髪の生徒に対して厳しく接していたレオナード・スキナー氏の名前をもじったものだ。当初は地元南部でのギグを中心に活動をしていたのだが、メンバーも増えより積極的に活動を続けるため拠点をアトランタへ移す。

70年にはビリー・パウエルが加入、71年にはリッキー・メドロックが加入、デモを作成しながらギグを行い、徐々に人気を博していく。 72年、バンドはアル・クーパーと運命的な出会いを果たし、彼の助けの元MCAレコードとの契約を獲得、73年にデビュー・アルバムを発表、「フリー・バード」といった名曲を収録した今作は、デビュー・アルバムにしてビルボード19位を記録する。

翌年74年にはセカンド『SECOND HELPING』を発表、「スイート・ホーム・アラバマ」が大ヒットを記録し、一躍その名を全米にとどろかせることとなった。その後もコンスタントにアルバムを発表し続け、77年には初来日公演も実施、その大胆で骨太なロック・サウンドは「サザン・ロック」と称され世界中を熱狂させたのが、同年10月、突然の悲劇がバンドを襲う。ツアー移動のために使用していた自家用飛行機が事故を起こし、中心メンバーであったロニー、スティーヴ・ゲインズ、バック・ヴォーカリストを含む6名の命を奪ってしまったのだ。

この事故はここ日本でも大きく取り上げられ、ロック界に大きなショックを与えた。この事故によりバンドは一旦解散、生き残ったメンバーはそれぞれ別のプロジェクトを立ち上げそれぞれで活動を続けていくようになる。そしてあの悲劇の飛行機事故から10年後となる1987年、ロニーの弟であるジョニー・ヴァン・ザントをフロントに迎えてレーナード・スキナードは再結成を果たし、まずトリビュート・ツアーを行う。このツアーが大盛況となり、バンドはこのまま活動を続けていくことを決意、その後も精力的にアルバムやツアーを行い、まさに不死鳥のごとく蘇ったのだ。

2006年には「ロックの殿堂」入りを果たし、今まで発表した作品は60以上、アルバム総売り上げ3000万枚以上を誇る「伝説的」ロック・バンドが2009年、新たにRoadrunner Recordsと契約を交わし、この夏、最新作を発表する。