Madball
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ツアー日程
バンドメンバー
Freddy Cricien
Hoya
Matt Henderson
Will Shepler
ニューヨーク・ハードコアの伝説であり代表格、MADBALLの結成は1988年の事。AGNOSTIC FRONT(以下AF)の4代目フロントマンであるロジャー・ミレットの実の弟であるフレディ・クリシエンは7歳の頃兄のロジャーを頼って故郷フロリダからNYに移り、既に絶頂期を迎えていたAFのライヴに洗礼を受け、その後どっぷりNYHCシーンにはまっていく。AFのツアーに同行し、一緒にステージに立つなどの経験を経て、フレディが10歳となった88年、いわゆるAFのサイド・プロジェクト的な形でMADBALLを結成する。結成当初のメンバーは、フレディ(vo.)、AFのギタリストでもあるヴィニー・スティグマ(g)、ロジャー・ミレット(b、フレディの兄)、ウィル・シェプラー(dr)という4人であった。
 89年、インディーのIN-EFFECTより7インチ・シングル『BALL OF DESTRUCTION』を発表、NYを基盤にライヴ活動をスタートさせ、そのラインナップといいサウンドといいまさにAF直系のこのバンドは、ぐんぐん知名度を上げていく(ちなみにこのデビュー7インチは、50ドル以上の高値で取引されるというプレミア作品)。92年にはWRECH-AGEより6曲入り2ndシングル『DROPPIN' MANY SUCKERS』を発表、地道ながらも確実な活動を続けていた彼らは、この2nd発表後ROADRUNNERと契約する。その頃、兄であるロジャーがバンドを脱退、今やフレディと共にMADBALLの顔となるホヤをベースに迎え入れ、新たに90年前後のAFのメンバーでもあったマット・ヘンダーソンがギタリストとして加わり、5人編成となった彼らは、1994年9月、デビュー・アルバム『SET IT OFF』を発表。その後アメリカ、ヨーロッパなどをめぐる大規模なツアーを行い、その世界中にその人気を広めていく。
 その後ヴィニーがバンドを脱退、バンドは新たにギタリストを加える事無く4人編成で活動を続け、96年に2ndアルバム『DEMONSTRATING MY STYLE』を発表、前作を超えるほどのストロング・スタイル直球ハードコア・サウンドを叩き付けたこの作品と、数々のコンピレーションへの参加、NYHCを描いたドキュメンタリー映画への参加、そして休む事無く続くツアーで、その人気を圧倒的なものとしていく(ちなみに97年には初来日公演も行っている)。そのツアー終了後ドラムのウィルがバンドを脱退、新たに元MIND OVER MATTERのジョン・ラファータを迎え入れ新ラインナップとなった彼らは98年、3rd『LOOK MY WAY』を発表、世界中を巡るツアーを行い(BLACK SABBATHSLAYERらとのツアーも実施)、NYHCスタイルを世界的に広めていく(99年には二度目の来日公演も実施)。
 ここでドラムのジョンとギタリストであったマットがバンドを脱退、ギタリストにロブ・ロザリオを、ドラムにはダレン・モーゲンテイラーを迎え入れたバンドは2000年、新たにEPITAPHと契約を交わし、4枚目となる作品『HOLD IT DOWN』を発表、変わらずのMADBALL節に更に磨きをかけたこのアルバムはハードコア・シーンだけでなくパンク・シーンからも支持を得、その活動を一気に爆発させる事となったのだが、2001年に突如バンドは解散を表明、ここ日本で最後のライヴを行い、その雄姿を見せ付けてくれた。
 しかし、2004年、フレディとホヤは新たにSKARHEADでも活動するミッツをギターに、そして元HATEBREEDで活動していたリッグ・ロスをドラムに迎え入れ、新生MADBALLとして復活を果たし、EP『N.Y.H.C.』でその狼煙を上げる、その後積極的にツアーを行い、今年2月には凱旋来日公演も実施、もう二度と見られないであろうと思われていたその変わらない圧倒的パフォーマンスを披露してくれた。そして、バンドは新たにFERRET MUSICとを契約を交わし、HATEBREEDSHADOWS FALLTHROWDOWNらを手がける名プロデューサー、ZEUSSと共に復活第一弾アルバム『LEGACY』を完成させた。アルバム発売前にまずバンドはH2Oとのツアーで全米を回り、直後にSOUNDS OF THE UNDERGROUNDツアーに参加、そして今作発表後も既に全米ツアーが決まっている。