| 【1981年】 | シンガーのイアン・アストベリーはリード・ボーカルとしてイギリスのブリクストンのローカル・バンドに参加し、後にそのバンドはネイティヴ・アメリカンの種族の名前にちなんで、バンド名をSOUTHERN DEATH CULTに変更した。 |
|---|
| 【1983年】 | マンチェスターで2月に行われたパフォーマンス後、このバンドは解散。その後ギタリストのビリー・ダフィーと組んで、イアンはDEATH CULTというバンドを結成した。イアンがSOUTHERN DEATH CULTで活動していた頃、ビリーはTHEATRE OF HATEというバンドに在籍しており、イアンのバンドとツアーをしていた事もある。この二人に加え、ポスト・パンク・バンドのRITUALからジェイミー・スチュアート(ベース)とレイモンド・テイラー・スミス(後にレイ・モンドとして知られる)(ドラム)をメンバーに迎えた。6月に入るとノルウェーのオスロでライヴ・デビューをし、EP『デス・カルト』をリリースしてヨーロッパ中をツアーで回った。9月、レイモンドが母国であるシエラレオネ共和国に強制送還され、元THEATRE OF HATEのナイジェル・プレストンがドラムに。 |
|---|
| 【1984年】 | テレビ番組「THE TUBE」に出演する前の1月に、バンドは野蛮なイメージを和らげるため、バンド名をTHE CULTに変更した。この年にTHE CULTはウェールズにあるROCKFIELD スタジオで初のレコーディングを行う。9月には『DREAMTIME』が発売された。このアルバムに収録された数々の曲やタイトルから、イアンはネイティヴ・アメリカンの問題に関して強い関心を持っていた事が分かる。このアルバムからは4枚のシングルがリリースされ、当初イギリスのみのリリースであったが続いて約30カ国でリリースされ、大成功をおさめる。 |
|---|
| 【1985年】 | 6月、ドラムのナイジェル・プレストンが解雇され、マーク・ブルゼジッキがメンバーになる。7月〜8月、セカンド・アルバム『LOVE』をレコーディングし、バンドの音楽性、イメージ共に、これまでのパンク志向のものから、1970年代のサイケデリックの影響を受けたものへと変わっていった。『LOVE』は、大ヒットのインディペンデント・レコードとなり、イギリスで30万枚、ヨーロッパで50万枚、オーストラリアで10万枚を売り上げ、北アメリカでは最終的に150万枚以上もの売り上げを記録した。現在までのことろ、全世界での売り上げは250万枚以上にもなっている。 |
|---|
| 【1985年〜1986年】 | バンドは、新しいドラムのレス・ワーナー(以前はジュリアン・レノンやジョニーサンダーズとプレイしていた)と共にワールド・ツアーを実施。 |
|---|
| 【1987年】 | 4月にアルバム『ELECTRIC』をリリース。4位にチャート・インするなど、前作の『LOVE』よりも売り上げ記録を伸ばした。当時まだ無名だったGUNS N’ ROSESをアメリカ・ツアーのサポーターに迎え、6月にはデンマークのROSKILDE FESTIVALにも出演を果たす。『ELECTRIC』はイギリスではプラチナ・アルバムになり、全世界では約300万枚を売り上げていた。 |
|---|
| 【1988年】 | 10月、AEROSMITHのサウンド・エンジニアのボブ・ロックをプロデューサーに迎え10月から12月にかけて新作のレコーディングを行う。 |
|---|
| 【1989年】 | 『SONIC TEMPLE』を4月にリリース。世界各国でマルチ・プラチナを獲得し、このアルバムからはライヴの定番曲「エディー(チャオ・ベイビー)」がシングル・カットされた。ヨーロッパではAEROSMITHと共にツアーをし、アメリカではMETALLICAのツアーにサポートとして参加。 |
|---|
| 【1990年】 | 2月、ジョージア州アトランタでのショウ終了直後、バンドのマネージメントからイアンに、彼の父親がガンで亡くなったことが伝えられる。その結果、4月までのショウは予定通り行われたが、残りのツアーはキャンセルに。その後ドラム、ベースのメンバーが個人的な理由から相次いで脱退したため、バンドは存続の危機に面する。 |
|---|
| 【1991年】 | イアンとビリーは次のアルバムを制作、様々なミュージシャンが参加し、5枚目となるアルバム『CEREMONY』が完成させる。しかし、このアルバムに対する反応は様々であった。アメリカでは34位になったものの、これまでの3枚のアルバム程の勢いは無く、売上げは全世界で100万枚に留まった。これには、このアルバムのジャケットに使用されたネイティヴ・アメリカンの少年の家族との訴訟問題により、リリースが多くの国で延期された事も原因しているのかもしれない。その後バンドはワールド・ツアーを重ねる。このツアーに出る前、31歳という若さで数週間前に亡くなった初期メンバーのナイジェル・プレストンを偲び、小さなナイトクラブでギグが行われた。 |
|---|
| 【1993年】 | ヨーロッパ・ツアーに向けてレイグ・アダムス(THE MISSION)とスコット・ギャレットを新メンバーに迎え、そのツアーの中ではリズム・ギターのマイク・ディムキッチをフィーチャーしたショウも繰り広げた。 |
|---|
| 【1994年】 | 同じラインアップのまま、プロデューサーにボブ・ロックを迎えて『THE CULT』をリリース。イアンの内情を色濃く表した内容となったが、アルバムの売上げはアメリカで69位、イギリスでは21位と芳しくはなかった。この年の冬にツアーが始まり、ジェイムス・スティーヴンソンがリズム・ギターに採用された。 |
|---|
| 【1995年】 | 南アメリカをツアー中、新曲がいくつかレコーディングされていたのにも関わらず、3月のリオ・デ・ジャネイロでのショウを最後にツアーはキャンセル、詳細は明らかにされていないが、ある問題を理由にバンドは解散となった。 |
|---|
| 【1999年】 | イアンとビリーはマット・ソーラムと元PORNO FOR PYROSのベースのマーティン・リ・ノーブルと共に、THE CULTを再結成。正式な初コンサートは、ロスのショウで何度かリハーサルを重ねた後に出演した、1999年6月のTIBETAN FREEDOM コンサートとなった。その後の“CULT RISING”再結成ツアーは、アメリカでは30日間すべてがソールド・アウトとなる盛り上がりを見せた。 |
|---|
| 【2001年】 | THE CULTは新アルバム『BEYOND GOOD AND EVIL』をリリース。ベースはマーティン・リ・ノーブルとクリス・ワイズが、ツアーのリズム・ギターはマイク・ディムキッチが担当した。9.11のテロ後、AEROSMITHと共にツアーを行い、12月にツアーは終了した。 |
|---|
| 【2002年】 | イアンはTHE CULTの「無期限のバンド休止」を宣言。THE CULTは二度目となる活動中止をする。この期間にイアンはTHE DOORSの再結成プロジェクトに参加。ビリーはDEAD MEN WALKING、その後CARDBOARD VAMPYRESのメンバーになり、ドラムのマット・ソーラムは、VELVET REVOLVERのメンバーになる。 |
|---|
| 【2005年】 | ワールド・ツアーに向けて再結成、3年半ぶりに姿を見せる。バンドのラインアップは、イアン・アストベリー(ボーカル)、ビリー・ダフィー(リード・ギター)、ジョン・テンペスタ(ドラム。元TESTAMENT、WHITE ZOMBIE)、マイク・ディムキッチ(リズム・ギター)、クリス・ワイズ(ベース)。 |
|---|
| 【2006年】 | イアンはTHE DOORSの再結成プロジェクトの脱退を発表、THE CULTの活動に専念する事を発表。 |
|---|
| 【2007年】 | ROADRUNNER RECORDSと契約を交わし、約6年ぶりとなるアルバム『BORN INTO THIS』を10月10日にリリースする。 |
|---|